水を得た魚

34歳にして発達障害(ADHD)診断を受けたけど、人生を楽しむことはあきらめない元応援団長のブログ

地方から上京したアラサーが長男跡継ぎ問題について考えた結果、家業を継ぐことに決めました。

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もし父親から「息子のお前に俺の仕事を継いで欲しい」と言われたらどうしますか?

 

家業相続。

いわゆる、跡取り問題ってやつです。

 

家業を継ぐためには今の仕事を辞めなくてはならなかったり、実家に帰らなければならなかったり、いろいろとめんどくさいことが起こるかもしれません。

ずっと続いてきた仕事とはいえ、この先もずっと続けられるかもわかりません。

いっそ父親の代でスパッと辞めて、自分の好きなことをする方が無駄なものを背負わない分、楽かもしれません。

 

ボクの実家は代々続く農家。

今も親父が大阪で田畑を守り続けています。

ちなみに、ボク自身、親父から農家を継いで欲しいと言われたことはありません。

が。

自分の意思で実家に戻って家業を継ぐことに決めました。

 

来年には今の仕事を辞めることも正式に受け入れられました。

ひとつの区切りとして、この決断に至った流れをまとめておきます。

上京して10年以上経ったけど

大学を卒業して、上京したのが23歳の時。

映像制作会社に就職するためでした。

映像系の会社は圧倒的に首都圏に集中していて、映画監督に憧れていたボクにとって上京は必然でした。

 

結果的に映画の道はあきらめて、転職することに。

その時点で「大阪に帰る」か「東京に残る」という2つの選択肢がありました。

まだ上京して3年ほどでしたし、東京で何かを成し遂げたという感触もあまりなかったので、もっといろんなことを経験するためにも「東京に残る」ことを選択。

色々な経営者の本を読みまくって、ある社長との出会いから、ずーっと興味のあった飲食業界に飛び込みました。

 

それから8年。

 

今では六本木の店で店長をやらせてもらえるまでになりました。

収入や待遇も業界内ではかなりいい方やと思います。

仲間にも恵まれたし、大阪では絶対できないこともやれています。

 

ただ、30歳を越えてからの数年間。

自分の中にどうしても消えないモヤモヤが大きくなってきていることに気づいてしまったんです。

 

本当にこのままでええんか?

モヤモヤの正体は大阪の実家のことでした。

このまま東京で仕事を続ければ、間違いなく家業である農業は親父が辞めた時点で廃業になります。

そんなことは始めからわかりきっていたことですが、上京する時はそれほど深く考えていませんでした。

その時のことはその時に決めればええや、ぐらいの感じです。

 

しかし、この10年のうちに家族内で大きな変化がいくつもありました。

親父が定年を迎えたり、祖母が亡くなったり、妹が結婚して家を出たり。

大阪と東京で距離が離れているとはいえ、無関係ではいられません。

むしろ、年に数回帰るたびに少しずつ老いていく両親や、地元の変化を無視できない自分がいました。

 

同じ大阪出身の友達の中には「もう一生東京でやってくつもりやから、大阪の家はどうなってもいいよ」って人もいます。

でもなんか、ボクはそこまで割り切れんかった。

 

そもそも、農業を継ぐことになんの抵抗もないし。

親父のやってることをそのまま受け継いでも意味ないけど、東京で経験したことを持って帰ったら、もっとオモロイことができるんじゃないか。

 

ほんでやっぱ、ずっと昔から繋いできてくれたバトンを自分が終わらせるのはめちゃめちゃ嫌なんすよね。

 

東京で飲食をやってることの違和感

引用:文化的景観「日根荘大木の農村景観」

大阪に帰るって話を職場でした時に「今更、農業なんて継いでなんになるんだ。東京で仕事する方がよっぽどおもしろいぞ!」みたいに言ってくれた方もいます。

おっしゃることもわかります。

でも別に、どちらが良い悪いじゃなくて、価値観の違いですよね。

上京した時はわからなかったけど、10年やってみてやっぱり地元が良いって思ってしまった。

これはもう仕方がない。

たいそうな理由があるわけでもなんでもなく、地元が好きっていうのはもう当たり前すぎる事実。

 

もちろん地元でやりたいこともありますよ。

それは飲食業をやるようになって気付いたこと。

毎日のように食材に触れてきて、東京で飲食やるのってすごく不自然なことだってわかったんです。

だって、都心では食材を生産していないわけですから、消費する分を各地から運んでくることになります。

 

食材は地産地消が最強。

どれだけ輸送技術が発達したとしてもまったく劣化しないわけではないし、運んだり保管したりするのにもコストがかかる。

地元ではありふれた食材が、東京に持ってきただけで値段が跳ね上がる。

品質は落ちるのに、値段は上がるって、意味わからん。

 

それでも東京で飲食店やってる限りは、なるべく多くのお客様に来て頂いて売上を上げないとやっていけない。

そのためには品質は多少落ちても大量に食材を集めて保存しておく必要がある。

個人店ならまだしも、会社規模で自分の出したいものだけ出し続けるってめちゃくちゃ大変ですよ。

もしできたとしても、金も労力もかかりすぎるから商売にならない。

 

東京には世界中のうまいものがあるけれど、本当にうまいものはないのかもしれない。

 

離れてわかった地元泉佐野のすごさ 

本当にうまいものを適正な価格で食べる。

東京では難しいことが、地元泉佐野市なら普通にできるんよね。

家のまわりで米と野菜は作ってるし、車で30分以内のところに瀬戸内の海で獲れた魚貝類を買える市場や南大阪で唯一のブランド豚を育てている農場、日本酒の酒蔵もあります。

最近では市内の企業が大豆からクリームやチーズを作ったり。

泉佐野市って地元産の食材でフルコースが作れるほど、食材の宝庫でした。

 

うまいものを求め続けていたら、最終的に自分で作るしかないって思ってしまうのは変態じみているのかもしれません。

けど、どうせ食べるなら安全でおいしい方がいいに決まってるやん。

自分が食べて欲しいものを、食べて欲しい人に届けるには東京は不利でしかない。

 

これからも一生、「食」に関わる仕事はやり続ける。

考えれば考えるほど、地元帰る方がより自分のやりたいことができる気がしてならんのです。

欲しいものは実は始めから持ってたっていう青い鳥的なオチ。

 

帰るタイミングなんて一生やってけえへんぞ!

ボクには神奈川に住んでいるおじさんがいます。

母の弟であるおじさんもまた長男で大阪に家業があったのですが、結局継ぎませんでした。

今は自分で会社を立ち上げて、小さいながらも社長をやっています。

 

数年前に一緒に飲んでいた時にふともらした言葉。

「俺だって帰ろうと思ってたんや。でも結婚とか仕事とか、いろんなもんのためにがんばっているうちにここまできてもうた。別に後悔はしてへん。けどなぁ、帰るタイミングなんて待ってても一生やってけえへんぞ!

 

幸か不幸か、ボクはいまだに結婚もしてないし、起業しているわけでもない。

今なら自分の決断ひとつでどうにでもなる。

来年には35歳やし。

実家にいる時はずっと手伝っていたとはいえ、農業をやるとなるとまだまだ勉強せなあかんことも多い。

これ以上遅くなると新しいことを始めるにもなかなかしんどくなってくるなぁ。

 

 

ちゅうことで!

実家に戻って農業を継ぐことを決めました。

最高にうまいメシを食わせる、カッコエエ農家になります。

 

詳細はまたぼちぼち告知していくので。

よろしゅたのんます!