水を得た魚

34歳にして発達障害(ADHD)診断を受けたけど、人生を楽しむことはあきらめない元応援団長のブログ

最高のサービスとはなんなのかという正解のない問いにあえて答えを出してみる

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久々に勘違い野郎に出くわしたので、自分への戒めも兼ねて書きます。

 

ある日の営業で、常連様からこんなことを言われました。

お客様
お客様

料理はおいしくてすごく満足したんだけど、接客してくれた人がちょっと・・・

 

この一言をきっかけに、改めて飲食店のサービスについて考えさせられることになりました。

 

お客様からの言葉

何が起こったのかと思い詳細を聞いてみると、

  • 久しぶりの友達との再会でゆっくり話をしたいのに、やたらと料理の説明が長い
  • そのくせ、聞いたことには曖昧な返答をする
  • もうお腹いっぱいで十分だったのに、駄目押しで料理を持ってくる
  • 閉店時間になってそろそろ帰ろうと思っているのに、やたらと時間をかけて豪華なデザートを出す

などなど。

細かいことはまだあるけれど、ややこしくなるので割愛。

 

ちゅうことで、お客様的には善意からの行動なので、怒ったりはしていない。

けど、正直ちょっとうっとうしいな、と思われたみたい。

 

お客様に気を使わせるサービスは最低

先ほどのお客様は、おおらかな方で店員に対しても分け隔てなくフレンドリーに接してくださる、かなりの常連様。

ウチの店のスタッフなら全員が顔と名前を覚えていて、気軽に挨拶ができるくらいの距離感です。

だからこそ、来てくださったからには絶対に喜んでいただきたいなという気持ちは全員が持ってます。

今回はこれが裏目に出た感じ。

 

サービスっていうのは、料理の説明をやたら丁寧にすることや、食べきれないぐらいの料理を出すことではないんです。

お客様に「せっかく色々やってくれたのになんかごめんね」と気を使わせてしまうようなものはただのスタッフ側の自己満足です。

やりゃあいいってもんじゃない。

 

サービスに正解はない

どんなサービスがいいサービスなのかを一言で表すのはめちゃめちゃ難しいです。

だって、同じことでも人によって受け取り方は違うから。

 

大盛りで喜ぶ人もいれば、小盛りで十分満足できる人もいる。

大事なのは目の前のお客様が何を喜びと感じるのかを想像すること。

 

感動するサービスって派手な演出があるからじゃないんです。

ちょっとした気遣いが目立たないけどじわじわ効いてくる。

お客様の名前や好みを覚えていたり、ちょっとした変化に気づいてくれたり。

そういう小さいことの積み重ねが大きな感動につながるんです。

 

ここを勘違いしてるヤツは無意識のうちにやりすぎてしまう。

別のお客様にやって喜ばれたことをそのまま繰り返しているだけだったり。

自分が良かれと思ってやることがお客様にとっては重荷にしかならない。

やったつもりになっているのは善意の押し付けであって、サービスではない。

 

そんなんめっちゃカッコ悪いよなー。

 

真のサービスとはなんなのか?

本当にいいサービスがどういうものかなんて、正解はありません。

お客様の性質や、店舗の状況、当日の雰囲気、スタッフの能力などあらゆるものが複雑に関わった上で、臨機応変に変わるものだから。

 

それでもあえて自分なりに答えを出すとすれば、

目の前のお客様が何を求めているかを考えて、本人が気付く前に先回りしてやってあげる。

決して押し付けがましくなく、それでいて、あると嬉しい。

そういうもんやと思ってます。

 

非常に概念的な話になりますが、これが現時点の感覚に1番近いです。

究極はサービスと感じさせないのがサービスなんて考えもありますが、ボクはまだそのレベルには至ってないかなー。

 

まあね、正解がないからこそ一生かけて追い求めないといけない奥が深ーい世界なんすよ。

マニュアルである程度まではやれるんですが、それ以上は自分でいろんな経験を積んでいく中で掴み取っていくしかない。

そこが難しいけど、おもしろいとこなんですよねぇ。